日本語の厄介さ

仕事の帰り路、何気に耳に聞こえてきたことばがなぜか妙に気になった。「・・シャクにさわったので・・・」、人から何か言われて頭にきたときなど何気にシャクにさわるという言葉を使っている。でも考えてみると、その言葉の本当の意味をわからないままに何となく使ってしまっている。無論、漢字で書いてみろといわれたら、とても書けない。そんな言葉が他にもある気がして思い出してみた。「癪にさわる」に似た言葉だが、「カンにさわる=癇に障る」、「カンシャク=癇癪を起こす」など、いずれも神経を強烈、過敏に刺激し、怒りに通じる意味でつかわれる。他には、「キガフレル=気が触れる」は発狂するなどの意味でふだんに使っている。4歳の孫に日本語を教えるとき、難しいことのひとつは、数の数え方だとメキシコ人の男性と結婚した長女が言っている。一個、一匹、一枚など、モノにより単位が変わること、そして、動物の数え方の場合など、単位は匹と教えても、今度は、数字によって単位の発音が「1ピキ」「2ヒキ」「3ビキ」と変わる。言われてみれば、確かに日本語とは、厄介な言語である。外国人がこの難しい言語を驚くほど短期間でマスターして驚いている半面、日本人の外国語マスターレベルがいかに低いか、日ごろから感じているが、幼いころから、日本語で正確に言葉を使い分けることを要求されてきたことがかえって外国語を話しにくくさせているのかもしれない。