ツイッターをはじめて

ツイッターを本気で使い始めてから3週間が経過した。わたしは毎晩、ひたすらフォローする人を増やし続けた。ジャズファン、マラソンファン、カウンセラー、ソーシャルビジネス関係者などなど、自分が興味ある分野のキーワードを使って同じ趣味、同じ分野に関心をもつツイッター・ユーザーを検索ツールで探し求め、フォローする人を増やしてきた。正直、自分がやっていることが、はたして意味のあることなのか、十分納得いかないまま、ただひたすら増やし続けた。その結果、今日現在、フォローしている人数は約700名、フォローされている=フォロワーの人数は約350人となった。
いま、ツイッターを開けば、自分がフォローしている人たちのつぶやき(ショートメッセージ)が休みなく、タイムラインと言われるスペースに書きこまれている。そして、私をフォローしてくれている人たちのパソコン、あるいはスマートフォン上のタイムラインには私のつぶやいた言葉が書きこまれているはずである。それらのメッセージのどれほどが自分の目に、あるいは他人の目にとまり、読まれているかははなはだ不確かなものである。しかし、140文字というごく限られた文字数で表現されたメッセージを毎日かぎられた時間、数十人分くらい読んでいるだけであるが、すでにわたしには何か伝わってくるものがある。
それは、老若男女、日本全国の地域や職業のへだてなく、多くの一般市民が、自分の思いを語り、自分の使命を果たすべく、思いを叶えるべく、自分のしたいことを自分なりの方法で地道にやり遂げようとしている姿である。それら一般市民の行為が、最近の政治家やお役人たちの期待はずれ、裏切り行為と比べるとあまりにも対照的で、わたしにはより強調されて素晴らしいものに映っているのかもしれない。