映画とのおつきあい

ものごころがついた時から中学2年生頃まで、わたしは毎日映画を見て育った。
父の仕事は看板屋さん、街の商店の看板、ポスターを描いたり、手ぬぐい、タオルのデザインを
手がけて生計を立てた。一方、母親の方は、先代から引き継いだ芝居小屋を映画館に改造し、その建物の
賃貸収入と映画館の売店の経営を担った。私を含め4人の兄弟、といっても私以外の3人は女性だが、
子供みんなで家の2つの商売をよく手伝った。
映画館は、もっぱら、東映の時代劇、いわゆるチャンバラ映画が主流だった。今でも、テレビでお馴染みの
水戸黄門」に代表されるように、物語の筋はワンパターンのお決まりで、勧善懲悪、必ず正しい者が
最後に悪を挫き倒し、正義が勝つことが約束されている。同じ映画を約ひと月、毎日見続ける。
ストーリーから役者の名前まで覚えてしまう。私の正義感の強さは時代劇映画に刷り込まれたせいだろう。
映画の好きな人なら、誰でも知っているイタリア映画の名作「ニュー・シネマ・パラダイス」があるが、
まさに私は日本版「ニュー・シネマ・パラダイス」の主人公といってもいいほど、そっくりな半生を送った。
そして、問題はこれからを含め後半の半生だ。
*本日50分、8Kmラン。